今を生きる文章、未来へ向かう文章
さて、国語の中の分野としてまず始めに紹介するのは、「現代文」についてです。現代文はその名の通り現代の文章について扱うものですが、実はこの現代文、厳密には現代の文章についてだけ取り扱っているわけではないのです。そもそも「現代」というのがどの時代を指しているのか、みなさんはご存知でしょうか?現代というのは、日本の歴史を指し示すときに使われた場合、昭和と平成について指しています。それでは、少し思い返してみてください。現代文として、あなたは夏目漱石の『こころ』という小説を習いませんでしたか?恐らく、多くの方が『こころ』を授業で扱った記憶があるのではないかと思います。「向上心のないやつはばかだ」という、なんとも現代の日本人に突き刺さるような名言を孕んだ名作でありますが、さて、ここにはおかしい点がありますね。そうです、夏目漱石は、明治の作家です。つまり、夏目漱石の小説は厳密に言えば「現代文」ではないんです。一般的に日本の歴史について指し示した場合、明治と大正の時代は「近代」に当たるため、現代文ではありません。それでは、何をもって「現代文」という教科になっているのか。それは一重に「口語体」か、「文語体」か、という違いによる分類なのではないでしょうか。夏目漱石の文章は明治時代のもので、多少古風ではあるものの、文法や仮名遣い等は現在のものとさほど大きな違いはありません。それはというのも、明治時代に行われた明治維新に伴う学制改革によって教育が大きく変わり、この時期から江戸時代までの古典仮名遣いから、現在の仮名遣いへと教育が変化したためで、この時期を境にして、文章が口語体のモノが一般的となっているのです。そのため「現代文」という名前だからといって、取り扱われるのが「現代」だけではない、ということになりますね。しかし、これは「小説」の分野についてのことで、教科書として採用される「評論」分野の文章は、その多くが実際に「現代」それどころか平成以降のものであることが多い傾向があります。それでは、この両者にはどのような違いがあるのでしょうか?それは、有名俳人である松尾芭蕉の言葉を借りるならば「不易と流行」の違いとでも言えるでしょう。「小説」というのはある種の芸術であり、どの時代においても一定の評価を得る可能性のある「不易(変わらないもの)」なものです。しかしながら、評論というのは時代によって大幅にその内容が変わり、時代が進めば全くの誤りであることが分かったり、時流に乗らない理論であるという場合が発生する「流行(移り変わるもの)」であると言えます。これらの違いによって、現代文において扱われる評論はまさに「現代」の文章になっていると言えるのでしょう。思い返してみてください。高校の現代文で習った文章の中で、今でも思い出せるのは、「小説」ばかりではないですか?私は、そうです。もちろん、だからといって小説の方が優れていて、評論の方が劣っているということではありませんので、そこは誤解なされないことを祈ります。
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